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須原の鞨鼓舞村廻り~神輿御浜降り(千葉県山武郡九十九里町)

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須原の鞨鼓舞村廻り~神輿御浜降り(千葉県山武郡九十九里町)
平成24年3月4日(日)

正一位稲荷神社に伝承。口伝では江戸中期に始まり、文化・文政・天保の鰯豊漁期に発展した。子文書に「文久二年(一八六二)八月二九日悪疫払いのため、片貝第六天に羯鼓舞が奉納された。」とある。明治に入ると「羯鼓三〇番」といわれるほど多彩となった。「平羯鼓・芸羯鼓・同段物」と分け、「四方かがり・弓・綱・剣・山くずし」などが著名である。囃子も「中山・立玉・鎌倉・野呂・下道・雀小舞・狐囃子」と獅子舞にない囃子を伝承。

羯鼓獅子舞、又は羯鼓舞とよんでいます。羯鼓というのは雅楽(がらく)の左方楽に用いる皮を張った打楽器で、中空の円筒に馬の革を調べひもで締めたものを台に据え普通両手で両革面を打ちます。風流系といわれるのは獅子連の衣裳があでやかで華やかに装っての群舞することからつけられました。昔は、村に疫病が発生すると疫病が村に居座っていてその業をするという信仰から、色々の幣帛(へいはく)を立てて、これを疫神を勧請して祭りを行い神送りするのに羯鼓舞がそれにあたったのです。普通3人一組で中央に雌獅子を挟み両端に雄獅子(中央子、両端親も)が腹に羯鼓をつけ背に幣帛をさして舞います。羯鼓をつけない処では「ひざ」をたたいて舞います。

羯鼓舞の起こりは、定かではありませんが、江戸時代の中期に始まったといわれており、文化・文政・天保年間のイワシの豊漁期に大きく発展したと伝えられています。また、文久2年(1862)に、コレラ大流行の際の悪疫払いの祈とうに須原の羯鼓舞が奉納され、病魔の駆逐に威力を発揮したという記録もあります。

房総の祭時記より引用
http://folklore.gozaru.jp/


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